「対馬丸」とは ―慰霊碑(小桜の塔と悪石島)―
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「対馬丸」とは
慰霊碑
ー小桜の塔と悪石島ー
対馬丸の犠牲者

慰霊碑 ―小桜の塔と悪石島―

 1953年、那覇市の波之上護国寺に沖縄戦没学童慰霊のための小桜の塔が建てられました。これは、住職名幸芳章大僧正が旅先で偶然に知り合った愛知県のすずしろ子供会会長の

河合桂さんの申し出に端を発し、「沖縄にたくさんの慰霊塔はあるけれど、子どものための塔がない」ことから企画されたもので、愛知県知事を含む愛知県の全面的な協力・献金を得て、名幸住職が指揮して実現しました。

  その除幕式が1953年5月5日の子どもの日に行われ、新聞・ラジオを通じて参加を呼びかけたところ、集まった遺族のほとんどが対馬丸の関係者でした。その後も毎年小桜の塔の慰霊祭が行われていますが、参列者が対馬丸関係者に限られてきたため、3年目の1955年から、開催日を対馬丸受難日の8月22日に改められました。また小桜の塔を管理する小桜会と対馬丸遭難学童遺族会は、1958年の慰霊祭を機に統合し、小桜の塔は対馬丸遺族会の管理するところとなりました。

 小桜の塔は1959年に少し離れた旭ヶ丘の中腹に移され、対馬丸の浮かんでいた那覇港外に向かって建てられました。その際、塔の周囲に霊石として悪石島の小石を敷き詰めたところ、コンクリート枠の内部に1個の過不足もなく収まり、話題となりました。

  また、1962年、沈没の海を臨む悪石島西海岸に対馬丸慰霊碑が建立されました。これは、当時の悪石島小学校の校長先生らの手によって建てられたもので、石段の上に並ぶ4つの石碑には、住民たちからのお供え物が絶えず、同校の子どもたちも草刈りや花を添えて手厚く祀りました。

悪石島では今でもボランティア活動の一環として毎月の「対馬丸慰霊碑」周辺の清掃活動や毎年の慰霊祭を欠かさず、授業で取り上げたりと、子どもたちは対馬丸を通して平和の大切さを学んでいます。

沖縄の習慣では、死者の祭祀は33回忌をもって打ち切られますが、対馬丸学童の慰霊祭は、半世紀を過ぎた現在でも続けられています。そして、2004年8月22日に対馬丸記念館が開館することで、二度と子どもたちが悲惨な戦争に巻き込まれないように、未来に向かって平和のメッセージを発信していきます。