05.漂流
真夜中の海に放り出された乗船者たちは目の前に浮かぶあらゆる物にすがりつき生き延びようとしました。
漂流者たちは、流された方向によって救出される時間と場所に差が生まれ凄惨な体験をすることになりました。
真夜中の海に放り出された乗船者
星明かりに照らしだされた島影を目指して泳いだ者もいました。しかし、対馬丸が撃沈されたトカラ列島の海域は日ごろから七島灘と呼ばれる海の難所であり加えて、台風接近の影響で波も荒く翌朝までに多くの人々が力尽き海底へと沈んでいったのです。
はてしのない大洋のまっただ中に浮かんでいるのはただ私たちのイカダだけだった。
そのうちに、だんだん波が荒くなってきてなんべんもなんべんも海水をかぶるようになり、気持ちが悪くなって、とうとう吐いた。みんなも吐いていた。
そして夏だというのにいつのまにかとても寒くなってぶるぶるふるえた。
しまいには口をきく人もなくなってただ波にもまれながら漂った。(証言より)
荒い海の上を筏 (イカダ)で漂流
漂流した子供たち
漂流三日目にもなると、ぼくらはもう護衛艦の救助をあきらめる気持ちになっていました。見渡す限りの水平線が見えるだけでした。(上原 清 著 『対馬丸沈む』 より)
・垣花国民学校 6年生の体験 真勝 (しんしょう)くん
救命具のおかげでいつの間にか海面に浮き上がっていた。四角のイカダに近づくとその上には大人が 4 〜5人乗っていて、私もやっとのことで這い上がった。暗い海上は恐くてぶるぶる震えるだけ。 大人たちに励まされながらイカダにしがみつくのが精一杯だった。【撃沈から3日後に救出】
・泊国民学校 6年生の体験 澄子 (すみこ)ちゃん
ひっくり返った救命ボートの背に乗せてもらい先端にまたがったままですごした。20人くらいいた。寝てはいけないと思っても、ついウトウトしてしまう。「護衛艦助けて」と強 く思ったからか蒸気船のポンポンと いう幻聴も聞こえた。手だけはしっ かりボートをつかんでいた。【撃沈から1日後に救出】
・安波国民学校4年生の体験 啓子 (けいこ)ちゃん
昨夜死んだ男の赤ちゃんは、波にさらわれいなくなっていた。私の唇はかわき、くっついて離れない。薄いブラウスは破れ皮膚が薄黒く焼けてただれはじめた。昼ごろ、おばあさんが目を開けたまま死んだ。人喰いフカが漂流者を襲っていた。【撃沈から6日後に救出】
翌朝までの多くの人々が力つきました
第一発見者
第一発見者は佐世保大村飛行場所属のパイロットたちでした。
近海で漁を行っていた開洋丸(鹿児島県山川町)と栄徳丸(宮崎県日南市油津)に状況を知らせ 現場まで誘導し救助をうながしたのです。
『鮫島国光氏書簡』より
顔、顔、顔、遭難者の顔がはっきり見える。木片につかまった者、イカダの上の者、手を大きく振る者、白や赤の布を振る者白や赤が目にしみる。私は翼を大きく左右に振りながら上空を飛ぶ。
長崎県大村基地所属パイロットの『鮫島国光氏書簡』
乗船した子どもたちの気持ち
イカダにつかまっていると、海中で光る夜光虫が見えました。 暁空丸に乗っていた子どもの一人が漂流している男の人を見つけ、兵隊さんに助けを求めましたが 「助けに行くことはできないよ」と言われました。
(上原 清 著 『対馬丸沈む』 より抜粋)