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03.航海

対馬丸は貨物船でしたが戦争が始まってからは兵員の輸送にも使われたため船倉に大きな二段の棚が作られていました。子どもたちに与えられたこの場所はどこもぎっしりと人でうまり蒸し暑くてとても眠れるような状態ではありませんでした。

蒸し風呂のような船倉

窓ひとつない換気のよくない船倉の中は船独特のにおいと汗だくの学童たちの体臭とで、蒸し風呂のような暑さでした。

船長から勝手な行動をとってはいけないなどいくつか注意があり、 救命胴衣は肌身離さず着けていることを命じられました。

台風が近づいていたためか波が高く、船酔いする子どもも大勢いました。

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つめ込まれた乗船者たち

追跡されていた対馬丸

長崎に向け出航した対馬丸。実は、アメリカの潜水艦ボーフィン号は、対馬丸が上海を出発し那覇港に入る直前から攻撃の対象としてとらえ、22日も早朝から追跡を再開していました。

アメリカの潜水艦ボーフィン号は、対馬丸が上海を出発し那覇港に入る直前から攻撃の対象としてとらえ、 この日も早朝から追跡を再開していました。

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対馬丸の航路予想図

目前に迫るその時

航行速度の遅い対馬丸は、船団のスピードについていくのがやっとで、潜水艦の格好の標的にされたのです。

「流れ星ヤ、不吉ヤシガ ・・・」 
あまりの暑さに船倉を抜け出し甲板に上がると 流れ星が見えました。そばにいたオバアは手 を合わせ、ウートートゥして(おがんで)いました。(上原 清 著『対馬丸沈む』より)

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あまりの暑さに甲板に上がる子どもたち

乗船した子どもたちの気持ち

渡り廊下はかなり長く広さがあり、寝るにはもってこいの場所だった。
「リッカ、ウマンジ、ニンラ(おい、ここで寝よう)」と私たちは3人とも救命胴衣をつけたまま、廊下の床にゴロリと横になった。

(上原 清 著『対馬丸沈む』より)

最後にすごした対馬丸の船内

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